価値観が違う人とは距離をおいたほうがいい話

雑記

こんにちは♬
トランペット奏者・作編曲家のいわたけいこです。

先日実家の父が亡くなりまして、通夜葬儀のため実家に帰りました。

実家は300年住宅です笑
古い家なので広い土間があります。
土間の上の天井の梁が立派で、ここにいるのが好きです。

父は87歳、まあいわゆる寿命です。
6年前に肺気腫になり、酸素生活に。
その時点でまあ寿命と言ったら寿命だったんですが、医学の力でこの6年それなりに楽しく過ごしたんじゃないかなあと思います。

5月はじめにあまり食べられなくなって、5月下旬に「もって1ヶ月」とお医者さんに言われ、でもそこからなんだかんだ7月末まで頑張りました。
7月下旬にはいる頃、血圧も60台に下がり「もって2〜3日です」と言われたのですが、その週はどうにもこうにも私も仕事が動かせなく「週末まで待ってて!」と電話しましたら週明けまで頑張ってくれました笑

5月末に会いに行ったときに「いまのうちに遺影を撮ろう!」といって一眼レフを持っていって写真を撮りました。

いい顔撮れたと思います。我ながら。
面白いんですけど、面と向かうとあまり感じなかったのですが、ファインダーを通すとその人の人生がみえるんですよね〜。
あ、こういう人だったんだなって漠然と感じたものがありました。

しかしこの葬儀用の写真の加工が納得行かないですけどね・・・。
レタッチしすぎだろ〜と思うんですが・・・。

そんな訳で久しぶりに家族全員揃ったわけなんですが、

まあ個性の強い我が家、3〜4日も一緒にいると色々感じることもありまして。

今回の表題はお葬式のことじゃないんですよ。
価値観の違う人とは距離をおいたほうがいいと思ったことがあったんですね。

前々から薄々感じてはいたんですが、
やっぱり実家の人たちと今の自分は価値観が全く違うなって思ったんです。

私は生きていく中で色んな人に出会い、色んな事を経験して、自己肯定感が本当に低いと気づいてそこからとにかく自分を大切にするようにしてきたのですが、

この自己肯定感の低さは実家の人たちの価値観だったんだなあというのを改めて感じました。

いや、家族なんで嫌いとかそういうのじゃないんですよ。
ただ、今までのことを振り返ったときにそういうブロックをかける言葉をずっと幼少期からかけられてきたんだなあと感じたんです。
昭和の家庭ですからそういうことも多いと思うんですけど、
まず自分がなにかしようと思って「これをやってみる」というと「やめておけ」「無理」って言われる。
演奏会とかの動画を見せたり録音を聞かせると「ここがダメ」ってまず最初にダメ出しをされる。
会うなり「太ったな」「痩せろ」って言われる。
金髪にしたときは「そんな頭で世の中生きていけない」と言われる。

ハイ、そうなんです。
全てまず最初に否定する家庭なんですね。

今回それをものすごーーーーーーく感じたんですよ。

娘が通夜だけ来て、葬儀の日はホール練習なので通夜が終わったら私が新大阪まで送っていって新幹線で帰らせると行ったら
「間に合わない」
「夜だと危ない」
「一人で新幹線に乗せるなんて」
と言い出す。

無理かどうかなんてやってみないとわからないじゃないですか。

調べもしないで無理っていうのはどうなんだろうと思ってめっちゃ調べましたよ。
そしたら余裕で間に合いました。

余裕で大阪限定のスタバのフラペチーノと551の豚まんも買えました笑

ほら、やってみないとわからないでしょ?

実家が嫌いってわけじゃないんですけど、今回ほんとに「あ、全く自分と価値観が違う人達なんだ」というのと、
自分がその価値観に縛られて生きてきたから成長を自分でストップしてしまってたんだ、ということに改めて気づけたのです。

実家の場合距離を置くっていうのはどのみち物理的に距離があるので全然いいんですけど、

これを見てる方でちょっと思い当たるなあと言う方がいれば、

自分が傷つくようなことを言ってきたり、
自分がやりたいことを阻害してくるような人とは
距離をおいたほうがいいよって話です。

ではまた。ばいば〜い!

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