こんにちは♬
トランペット奏者・作編曲家のいわたけいこです。
最近、時々いろんな箇所で「サプライズ花火」が上がっていますね。
昨日も県内でサプライズ花火が催されたようです。
花火はやっぱりいいですよね。
華やかだし、きれいで私も大好きです。
新型コロナウイルス感染症によって花火大会も中止になってしまったり、花火業界は大打撃なのでこういう発表の機会があるっていうのはこれからもこの業界が続いていくために必要ですし、また夜空を彩る花火によって癒やされる方もたくさんいるので、こういった「無観客花火公演」っていうのも大事だなあと思います。
ただ、先日犬友達に話を聞きましたが、
本当にサプライズで突然花火が上がるので、花火が苦手なワンコさんたちがびっくりしてパニックを起こしてしまうとのこと。
予め告知をしたうえで「この地域にこの日程で花火を行います」っていうのがあると予防策が取れるので助かるなあとのことでした。
なるほど、これが「誰かにとっての善は誰かにとっての悪」っていうことなんだなあと1人で納得してしまいました。
また、犬の話になりますが、よくInstagramの犬界隈で、犬の体調不良についての話を書くと、聞いてもいないのに「この犬のこの症状にはこれがいいです、今すぐやってください!」っていうこともたまにあります。
うちの犬たちは割と運動量が多くてちょっと痩せ型だったんですよ。
(引っ越してからだだっ広い場所がないので運動量が低下してるんです笑)
なので本当になんでもない写真でもよく外国人さんに突っ込まれていました。
「この子は痩せてるからもっと食べさせて!」みたいな笑
めっちゃガツガツ食べるしなんならおやつも上げてますけどね・・・。
余計なお世話じゃっていう。
言わなきゃ危ないって思う気持ちもわかるんですよね。
私もたまに同じようなことを思うこともありますし、もちろん食べさせないっていう虐待の可能性だってひょっとしたらあるのかもしれないですし、色んな可能性は考えます。
そういうのがネット上では分かりづらいという面もありますね。
楽器界隈でもよくあります。
演奏動画を上げている人に対して「こういうふうに練習したほうがいい!」とか笑
まあどこに行ってもこういうのはつきもので、そういうのを「クソリプ」って言ったりすることもありますね。
誰かにとっての善は、誰かにとっての悪
って可能性が常にあるんだなというのはいつも頭に置いておきたいと思っていますが、自分もしてないかなあと振り返って考えたりします。
私はよく「自分の常識(は)、他人の非常識」っていう言葉を使うんですけど、
自分にとっての常識だと思うことは、時に他人にとっては非常識であることがよくあると思うんです。
それは、他人と生活した時にすごく感じたんですけど(大学が寮生活だった)、
どこまでが踏み込んでいい領域で、
どこからが踏み込んではいけない領域なのか、
というのを見極めるのが人付き合いにおいてとっても大切だと思っています。
ネットで人との距離が近くなったなあという反面、いつもこのことを考えていきたいなあと改めて思ったのでした。
ではまた。ばいば〜い!
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