こんにちは♬
トランペット奏者・作編曲家のいわたけいこです。
昨日ネットサーフィンで色んな人の文章を読んでいたら、こんな記事にたどり着きました。
フルーティストの尾崎さんという方の記事です。
時々TwitterやYouTubeでもお見かけする方で興味深い活動をされてる方です〜。
「音楽家はアイドルなのか、求道者なのか」
という事を書かれていました。
とても読みごたえのある記事ですので、是非読んでみて下さい。
求道者って言葉も久しぶりに聞いたなと思うぐらいすっかりご無沙汰してました笑
その道を求める、その道を突き進む、極める。
音楽家で言うところは芸術家としてただひたすらそこを極めていくっていうことだと思います。
以前にも少し書きましたが、大半の日本のクラシック音楽家は音楽大学に進学し、自分の学びたいジャンルや楽器がひたすら上手くなる(語弊はありますがあえてそう書きます)ために学び、コンクールやオーディションを受けて自分を高めていき、その過程で賞金だったり、仕事だったりで報酬を得ます。
でもそれは音楽大学に進学したなかのほんのひと握りの人たちで、あとは生きていくために音楽をしている人たち、音楽の道を極めることからは離脱してほかの道にいく人たちに分かれます。
私はどちらかというと「生きていくために音楽をしている人」に分類されると思います、たぶん。
若い頃はずいぶんこれについて考えたなあと思います。
「自分は何のために音楽をしているのか?」
なんてことも考えました。
多分けっこう最近まで考えていたかもしれません。
だからといって、求道者として生きることを諦めたこともないし、自分が芸術家として突き詰めたいという気持ちは心の片隅にはいつもあって、でもそれに対して「どんな事をするのがそれに該当するのか」ということもずっと疑問に思っていましたし考えたりもしました。
とはいえ、芸術家も人の目につくようにしないと今の時代生きていくのが難しくなってきたような気がします。
このコロナ禍で、その求道者たる頂点の人たちがその披露の場を失い、生きていくために得ていたものすら手に入らない状況になっています。
それは日本だけでなく、世界でも同じこと。
そのためにアイドルであったり、ピエロである必要もひょっとしたら時にはあるのかなと考えることもあります。
でも自分の周りにいる音楽家たちは、みんな「求道者」だと思うんですよ。
ただ、生きていくための方法が違うだけで、アイドルな路線から認知を集めてコアなところを出していく方もいれば、職人的にひとつひとつを積み重ねている人たちもいます。
昔はアイドルみたいに売り出す人を見て「音楽家はアイドルじゃないんだ」みたいに思ったりもしましたが笑
でも実際そうやっていくことで自分の道を見つけている人たちも間近で見ていますし、方法はひとつだけじゃないんですよね。
色んな生き方があっていいと思います。
では自分は何者なのか?
ピエロなのか、芸術家なのか。
(アイドルとはとても言えない←)
私はそのどちらでもない、と思っています笑
どちらでもいいかな、とも。
誰かが見れば私はピエロかもしれないし、
また違う誰かから見たら芸術家かもしれない。
何者かになる必要なんてないんですよね。
自分は、自分が思ったように行動すればいいと思うんです。
流行りの曲を吹こうが、カホンとトランペットを同時演奏しようが、まじめにレッスン動画あげようが、クラシックを吹こうが、私は私なんですよねえ。
っていうのが、最近の結論です笑
ではまた。ばいば〜い!
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